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熊本地方裁判所 昭和42年(ワ)151号 判決

原告 中川穂積

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 衛藤善人

同 青木幸男

被告 熊本市

右代表者市長 石坂繁

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 本田正敏

主文

被告熊本市は、原告中川穂積に対し金一、〇〇〇万円、原告中川仁、同中川博子に対し各金五〇万円および右各金員に対する昭和四五年一月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告熊本市に対するその余の請求および被告高田三千男、同坂口隆範に対する請求を棄却する。

訴訟費用中、原告らと被告熊本市との間に生じた分はこれを六分し、その五を同被告、その余を原告らの各負担とし、原告らと被告高田三千男、同坂口隆範との間に生じた分は原告らの負担とする。

この判決第一項は、原告中川穂積において金二〇〇万円、原告中川仁、同中川博子において各金一五万円の担保を供するときは、それぞれ仮りに執行することができる。

事実

第一双方の求めた裁判

原告ら訴訟代理人は「被告らは各自原告中川穂積に対し金一、一〇〇万円、同中川仁、同中川博子に対し各金一〇〇万円および右各金員に対する昭和四五年一月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二請求原因

一、事故の発生

原告中川穂積は、昭和四一年四月被告熊本市立藤園中学校に入学し、同中学校が特別教育活動の一環として行っていた柔道クラブの活動に参加していたものであるが、同年五月二六日午後五時直前ごろ、いつものように同中学校柔道場における同クラブの柔道練習(以下本件柔道練習という。)に加わり、前年来右柔道練習に参加していた熊本商科大学附属高校一年生柔道初段の訴外川田晴夫と練習中、同人から背負い投げで投げられた際、道場畳に前頭部左側を強打し、その結果脳内出血、脳軟化症の傷害を受け、現在言語障害、右半身麻痺の状態で全く回復の見込みなく、労働能力を完全に喪失するに至った。

二、本件事故の原因

本件事故は訴外川田晴夫が柔道は初心で未だ受身も十分に習得していなかった原告を背負い投げで強く投げ飛ばしたために生じたもので、同訴外人が柔道初心者に対する練習方法を誤ったことに基因するものである。

三、被告高田、同坂口の過失

(一)  本件柔道練習に関する同被告らの注意義務

同中学校の保健体育の担当教員であり、かつ前記柔道クラブの指導責任者であった被告坂口としては、柔道の練習には危険が伴うものであり、特に原告穂積の如き中学校入学早々柔道クラブ員のそれには、技倆未熟による事故を伴いやすいので、その練習方法については、同クラブの年間指導計画中に五月の月間指導内容として規定されていたように、基本技能の練習(礼儀作法、各種姿勢、受身、運び足、投技の解説練習)に止め、それ以上の行動をとらせないよう厳重に指導監督すべきであり、従って、また本件事故当日の如く所用のため、自ら右指導監督に当ることができないような場合には、当日はその練習を中止させるか、あるいは自己に代るしかるべき指導監督者を付してこれを実施せしめるなどしてその安全を図るべき職務上の注意義務があった。

また、同中学校長の地位にあった被告高田としては、その部下職員である被告坂口が右のような注意義務を尽すよう監督すべき職務上の注意義務があった。

(二)  同被告らの過失

被告らにおいて右注意義務を尽していたなら、訴外川田をして、原告穂積に対する練習方法をあやまらせることもなく、従って本件事故を回避することができたはずであるのに、被告らは本件事故当日いずれも右注意義務を怠り、熊本市内商工倶楽部におけるP・T・Aの会合に参加するため漫然同中学校を退出したために本件事故を招来させたものである。

四、被告らの責任

本件事故は前記のとおり藤園中学校における特別教育活動の一環として施工されたクラブ活動の際に生じたものであり、被告高田、同坂口は前記地位にあるものであるから、国家賠償法第一条にいう公共団体(被告熊本市)の公権力の行使にあたる公務員に該当するものというべきところ、本件事故は前示のように同被告らの職務上の過失により生じたものであるから、被告熊本市は同法条により原告らが本件事故によって被った後記損害を賠償する責任があるというべきであり、仮りに同法条による責任を負わないとしても、被告高田、同坂口の使用者として同被告らが原告に加えた右損害を賠償すべき義務がある。

被告高田、坂口は民法第七〇九条によって原告らの右損害を賠償すべき義務がある。

五、原告らの被った損害

(一)  原告穂積の逸失利益

原告穂積は本件事故当時満一三才の男子であり、その学業成績は熊本市内一流小学校五福校においてトップを占め続け、もし本件事故がなければ相当程度の上位の収入を挙げ得たものであり、少くともその収入は日本における製造業(規模一〇人―二九人)における男子労務者の賃金を得べきである。しかして昭和四四年労働白書(製造業、企業規模並びに年令別賃金及び年令別賃金格差推移表)「同書六八頁―六九頁」および同書六五頁特別給与の規模別支給与状況表によれば、右賃金の額は

(1) 二〇才から二五才までの期間は月額金三万六、七〇〇円であるので

同期間の賃金の合計額は金二二〇万二、〇〇〇円

また、特別給与は右賃金の二、五ヵ月分以上であるので

同期間の特別給与の合計額は金四五万円

従って同期間における全給与の合計額は金二六五万円

(2) 二五才から三〇才までの期間は月額金四万五、三〇〇円であるので

同期間の賃金の合計額は金二七一万八、〇〇〇円

また特別給与は右賃金の二、五ヵ月分以上であるので

同期間の特別給与の合計額は金五六万六〇〇〇円

従って、同期間における全給与の合計額は金三二八万円

(3) 三〇才から三五才までの期間は月額金四万九、二〇〇円であるので

同期間の賃金の合計額は金二九五万二、〇〇〇円

また特別給与は右賃金の二、五ヵ月分以上であるので

同期間の特別給与の合計額金六一万五、〇〇〇円

従って、同期間における全給与の合計額は金三五六万円

(4) 三五才から四〇才までの期間は月額金四万八、四〇〇円であるので

同期間の賃金の合計額は金二九〇万円

また、特別給与は右賃金の二、五ヵ月分以上であるので

同期間の特別給与の合計額は金五八万円

従って、同期間における全給与の合計額は金三四八万円

(5) 四〇才から五〇才までの期間は月額金四万七、七〇〇円であるので

同期間の賃金の合計額は金五七二万円

また、特別給与は右賃金の二、五ヵ月分以上であるので

同期間の特別給与の合計額は金一一九万円

従って、同期間における全給与の合計額は金六九一万円

(6) 五〇才から六〇才までの期間は月額金四万二、八〇〇円であるので

同期間の賃金の合計額は金五一三万円

また、特別給与は右賃金の二、五ヵ月分以上であるので

同期間の特別給与の合計額は金一〇七万円

従って、同期間における全給与の合計額は金六二〇万円

以上の金額の総合計金二、七〇八万円に達し、これにホフマン式計算による現在の価額に換算すれば、金九〇〇万円を下らず、原告穂積は右同額以上の損害を被ったこととなる。

(二)  原告らの慰藉料

本件事故による原告穂積の精神的損害は甚大であり、金二〇〇万円の支給を得てようやく慰藉さるべきであり、その両親たる原告中川仁および同中川博子は、被告穂積の成長を最大の楽しみとしていたにもかかわらず、前記のように再起不能の状態に陥ったもので、負傷後の看病、その他の心労および今後に対する失望、危ぐの精神的損害は甚大であり、各一〇〇万円の支払いを得て慰藉さるべきである。

六  よって、前記各損害の賠償として各被告に対し、原告穂積は金一、一〇〇万円、同中川仁、同中川博子はそれぞれ金一〇〇万円および右各金員に対する請求の趣旨拡張申立書送達の翌日である昭和四五年一月三〇日より支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因の認否

一の事実中、本件事故発生時刻を争う。本件事故は午後五時二〇分ごろ発生したものである。

また原告穂積が本件事故によって労働能力を完全に喪失したとの点を争う。その余の事実は認める。

二の事実は争う本件事故は後記するよう不可抗力によって発生したものである。

三の(一)の事実中、被告坂口が被告熊本市立藤園中学校の教諭(ただし数学の担任であって保健体育担当ではない。)であって、同中学校の柔道クラブの指導責任者であったこと、同クラブの年間指導計画の五月の指導内容にその主張のような定めがあったこと、また被告高田が同中学校長の職にあったことは認めるが、後述するように、同被告らに本件事故当時原告ら主張のような注意義務が負わされていたことは否認する。同(二)の事実は否認する。

四の事実は争う。

五の事実中、原告穂積の性別、年令および原告らの身分関係は認めるがその余の事実は争う。

第四被告らの主張と抗弁

一  本件事故は被告高田、同坂口の勤務時間外に発生したものであるから、同被告らが本件事故につき責任を負うべき筋合ではない。同被告ら教師といえども、同被告らが職務上の義務として生徒の教育に従事するのは、その勤務時間内に限られるのであって、かりに右勤務時間を超えて、右教育に従事するようなことがあるとしても、それは職務上の義務として行われるものではなく、個人的なサービスとして行われるものであるというべきであり、このことは、本件事故が発生したクラブ活動が、昭和三二年五月一六日付文部省初等教育局長通達に則り藤園中学校においてもうけられた少くとも週一時間教師の指導を主とする正規の時間内に行われるものと、生徒の自発的行為を主体とする放課後に行われるもの(実施時間火土を除き毎日午後四時二〇分から五時三〇分まで)との二種のクラブ活動のうち、後者の活動であって、教師の勤務時間外に行われるのを通常の形態とするものであるとはいえ、別異に解さるべきではない。

しかして、同被告らの勤務時間は、熊本県職員の勤務時間に関する条例および熊本県職員の勤務時間に関する規則によると「職員の勤務時間は一週間について四四時間」と定められており、本件事故当日においては午前八時一〇分から午後四時五五分までであり、本件事故が発生した午後五時二〇分ごろが勤務時間外であることは明らかであるから、同被告らの職務上の義務違背を云々する余地はなく、本件事故につき、同被告らに責任を問うとすれば、同被告らに故意または重大な過失の存する場合に限られるものというべきであるが、同被告らにはこのような故意または重大の過失は存しなかったから、同被告らは本件事故につき何ら責任を負わないものであり、また同被告らの職務上の過失が存在しない以上被告熊本市が本件事故につき国家賠償法上の責任を負うことはない。

二  本件事故の発生は後記のとおり被告高田、同坂口の過失によるものでなく不可抗力によるものである。

藤園中学校柔道クラブは、その指導担当教師として、被告坂口(学年主任、学級担任なし)、訴外村元春雄(生徒指導部長、学級担任なし)の二名を配置して、実技指導をのぞく全般的な指導に当らせ、その実技指導はクラブコーチとして部外から訴外白石礼介を迎えてこれに委嘱し、右三名が協議し、部員をその習熟の度に応じて三段階に分け、予め定めた年間実施計画に基づいてその指導に当っていた。なお前記訴外川田がクラブの練習に参加していたのは、同人は熊本北警察署の柔道場である承道館の会員であり、他方藤園中学の柔道クラブ員も同会員であったことから、右クラブ員と親しくなり、右柔道クラブの練習に参加してクラブ員の実技練習の指導助言に努めていたものである。

本件事故発生当時、前記村元は生活指導主任会議に、被告坂口はP・T・A役員総会にそれぞれ出席し不在であり、前記白石もまだきていなかったが、被告坂口は、水泳クラブの監督にあたっていた訴外東教諭にあわせて監視方を依頼し、柔道クラブ員は、クラブキャプテン訴外永広信治の指示に従って準備運動、受身の練習(ことに新入生グループは受身の練習をしていた。)をしていたものである。

このような事情のもとに本件事故が発生したものであり、その後の処置についても、同中学校側はできるだけの措置をとったものであるから被告高田、同坂口には何らの過失はないし、仮りに何らかの義務違背が認められるとしても、本件事故は柔道練習に内在する危険性に基因して不可避的に発生したものであって、その義務違背と本件事故との間には因果関係が存しないのであるから、同被告らには何らの責任もない。

また同被告らの過失が存在しない以上被告熊本市が民法上国家賠償法上の責任を負うことはない。

三  仮りに右主張はいずれも理由がないとしても、原告らは、原告穂積が柔道クラブに入部するに際し、本件のごとき事故の発生については何ら教師その他関係者の責任を追求しない旨の暗黙の合意をなしたものである。なんとなれば柔道のような激しい運動をなす場合、たとい注意を払っていても、時に傷害事故を起し易いものであることは周知のことであり、このようなクラブに入部する以上、当然何らかの事故が自己においても発生しうることは予見していたか予見しえたはずであるから、原告らは原告穂積が柔道クラブに入部するに際し同クラブ活動により将来発生すべき事故につきその責任者に対する損害賠償請求権を放棄したものである。

四  そもそも中学校におけるクラブ活動自体は学校教育の一環であって、何らの権力的作用をも伴わない非権力的作用に属するもので、国家賠償法第一条第一項にいう公権力の行使にあたらないから、被告熊本市は同法上の責任を負うものではない。

また仮りに右主張は理由がなく本件事故につき被告熊本市が原告らに対し国家賠償法上の責任を負うとすれば、被告高田、同坂口が直接原告らに対し民法上の不法行為責任を負うことはない。

第五被告らの主張と抗弁に対する原告らの反論と認否

一  一の主張はすべて争う。

前記のごとく体育クラブ特に柔道クラブの活動は、特別教育活動の一環として行われていたものであるから、スポンサーとしてその指導監督の任にある教師は、職務上の義務としてその指導監督に当るものであり、たとえそのクラブ活動が自己の勤務時間を超えて行われるようなことがあっても、そのことによってその指導監督の法的性格が職務上の義務としてのそれから個人的なサービスの提供としてのそれに変質するものではない。

仮りに勤務時間外における指導監督が個人的なサービスの提供であるとしても、勤務時間外のクラブ活動が行われることを容認する以上、これを容認したスポンサーはその活動が正しく行われるよう指導監督すべきは当然の義務であり、またもし右サービスの提供としての指導監督を放棄しようとする場合には、スポンサーとしてその後事故の起り得ないようクラブ活動を中止せしめるか、またはその起りえないような方途を確保してこれを放棄すべき注意義務があるというべきであり、被告高田、同坂口において前記のように右注意義務の違反があった以上本件事故に対する責任を免れることはできない。

二  二の事実中被告坂口および訴外村元春雄の両名が柔道クラブの指導監督者に指定されていたことおよび訴外白石札介が学校からの委嘱をうけて同クラブの実技指導に当っていたこと、同クラブ員を三つのグループに分け予め定めた年次実施計画に基づき指導がなされていたことは認めるが、その余の事実はすべて不知。(ただし本件事故当日被告坂口が本件柔道練習の指導監督を訴外東教諭に依頼していたとの点は否認する。)本件事故が不可抗力によって発生したとの法律上の主張は争う。

三  三の抗弁事実は、否認する。

四  四の法律上の主張はいずれも争う。

第六、証拠関係≪省略≫

理由

一  本件事故の発生

原告穂積は、被告熊本市立藤園中学校において特別教育活動の一環として行われていた柔道クラブの活動に同中学校入学早々の新入生として参加していたものであるが、昭和四一年五月二六日(時刻の点はしばらくおく。)いつものように同中学校柔道場における同クラブの柔道練習に加わり、前年来右柔道クラブの練習に参加していた熊本商科大学附属高校一年生柔道初段の訴外川田晴夫と練習中、同人から背負い投げで投げられた際、道場畳に前頭部左側を強打し、その結果脳内出血、脳軟化症の傷害を受け、現在言語障害、右半身麻痺の状態で回復の見込みがなくなっていることは当事者間に争いがない。

二  本件事故の原因

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。すなわち、

原告穂積は、右柔道クラブに入部する以前は、柔道については全く経験のなかったものであるが、火土の両曜日をのぞく放課後の練習により、入部後一ヶ月余を経過していた本件事故当時には、「一人でする受身」、「足の運び」、「うちこみ」の練習を重ね、漸く受身を主体とした「約束げいこ」(経験者が初心者を相手に、あらかじめかける技を示しての技の練習をいう。)の練習に入っていたが、背負い投げの受身をマスターするまでには至っていなかった。そして事故当日のクラブの練習は、平素実技の指導に当っていた訴外白石礼介はまだきていず、クラブキャプテン永広信治の指示に従って準備運動等をした後、七、八組の者が約四〇畳の道場で思い思いに「約束げいこ」を始め、同原告の練習相手が右クラブの練習に参加していた訴外川田晴夫となった。同人は、同原告に特定の技に対する受身の仕方を教えてから技をかけては受身をさせ、四へん目位に背負い投げの技に入ることとし、同人が右自然体から背負い投げに入り、同原告を背負って前方に投げ飛ばそうとした瞬間、丁度その場所あたりで他のクラブ員が寝技の練習をしていたので、その侭投げることを途中でやめて右側方寄りに投げようとしたところ、同原告の身体はくずれ落ち、その左側前頭部を畳に打ちつけて本件傷害を受けたこと、それが午後五時直後ごろであったこと、以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうだとすると、本件事故は、不可抗力による事故ではなく、前記川田の練習時における周囲に対する注意の不足と、初心者で未だ十分に背負い投げに対する受身を習得していない原告に対し強力な背負い投げの技をかけた練習方法の誤りによるものといわねばならない。

三  本件柔道練習に関する被告高田、同坂口の注意義務について被告高田が本件事故発生当時被告熊本市立藤園中学校長であり、被告坂口が同校教諭であって同校柔道クラブの指道担当教師であったことは当事者間に争いがない。

公立中学校の校長ないし教員が中学校における教育活動につき生徒を保護監督すべき義務があることは、学校教育法上明らかであり、本件柔道クラブ活動が特別教育活動の一環として行われていたことは前記のとおりで、これは正規の教育活動に含まれるものであるから、右柔道クラブ活動を企画、実施するに際しては、柔道練習に内在する危険性に鑑み、校長、クラブ指導担当教師が職務上当然生徒の生命、身体の安全について万全を期すべき注意義務が存することはいうまでもない。

ところで、被告らは、本件事故は教師の勤務時間外に発生したものであり、被告坂口、同高田が職務上の義務として教育活動に従事するのは、勤務時間内に限らるべきであるから、勤務時間を超えての教育活動については職務上の指導監督の義務はないと主張するけれども、本件柔道クラブ活動が正規の教育活動である以上たとえそれが教師の勤務時間を超えて行われることを通常の形態とするとはいえ、これを実施する限り、指導担当教師は、勤務時間外においてもその職務上の義務として生徒の生命身体の安全について万全の注意を払うべきであり、勤務時間外の故をもってその指導監督を放棄するとせば、柔道練習を止めさせるなどして危険の発生を防止すべき義務があるものと解すべきである。

四  被告坂口、同高田の注意義務違反の有無

本件柔道練習において、被告坂口および訴外村元春雄の両名が指導監督者に指定され、訴外白石礼介が学校からの委嘱を受けて実技指導に当っていたことは当事者間に争いがなく、本件事故発生当時、右村元は生活指導主任会議に、被告坂口はP・T・A役員総会に出席して不在であり、前記白石もまだ本件柔道練習にきていなかったことは被告らの自認するところであり、≪証拠省略≫によれば、右村元および被告坂口の両名は、本件柔道練習は通常午後四時三〇分ごろから始められ、他方前記白石が実技指導に赴く時刻が午後五時から午後五時三〇分ごろまでの間であるのが常であることを知っていながら、自らは月に二回位顔を出す程度で専らその指導を右白石に委せ、当日もいつものように本件柔道練習が始められるであろうし、現に行われていたことを熟知しながら、本件柔道練習につき何等の配慮もしないで漫然と学校を退出したことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうだとすると、被告坂口は、本件柔道練習についての指導監督義務を放棄したに等しく、同被告においてすくなくとも実技指導者の白石がくるまで自ら指導監督に当るなり、他にこれを依頼するなどし、生徒の生命身体の安全確保につき適切な措置をとっていたならば、本件事故の発生を防止しえたであろうと考えられるので、この点に同被告の過失が存するものといわねばならない。

被告高田が校長として被告坂口を監督すべき義務を負うことは明らかであり、前記のような被告坂口の本件柔道練習についての指導監督について適切な指導助言をしたことの認められない本件においては、その注意義務を怠ったものであるというのほかはない。

五  免責合意の有無

被告らは、原告らは原告穂積が柔道クラブに入部した際、本件のような事故により生じる損害賠償請求権を放棄したものである旨主張するが、柔道練習が危険の発生を伴い易いとはいえ、柔道クラブに入部したことをもって直ちに同クラブ活動により将来発生すべき事故につきその損害賠償請求権を放棄したものとはいえないし、他にこの点に関する合意の事実を認めるに足りる証拠はなく、従って被告らの右主張は理由がない。

六  被告らの責任の有無

(一)  被告熊本市の責任

本件事故が、学校教育の一環として行われた特別教育活動の際に生じたものであることは前記のとおりであり、被告高田、同坂口は被告熊本市立中学校の校長および教諭であって、本件事故につき同被告らに過失が存することも前記認定のとおりである。

ところで、国家賠償法第一条の公権力の行使とは、国または地方公共団体がその権限に基づき優越的な意思の発動として行う権力作用に限定することなく、広く非権力的作用(但し国または地方公共団体の純然たる私経済作用と同法第二条に規定する公の営造物の設置管理作用を除く。)も包含すると解するのが相当である。

従って、本件のような公立学校の生徒に対する正規の教育活動実施に際する注意義務違背についても、また同法第一条の適用があると解すべきであり、被告熊本市は同条により本件事故により原告らの被った損害を賠償する義務がある。

(二)  被告高田、同坂口の責任

前記のように国家賠償法第一条により被告熊本市に賠償の責任が認められる以上、被害者の救済については満足すべきものであるから、その公務員たる被告高田、同坂口は行政機関としての地位においても、また個人としても直接原告らに対し賠償の責任を負うものではないと解するのが相当である。

従ってこの点の原告らの主張はいずれも理由がない。

七  損害

(一)  原告穂積の逸失利益

原告穂積が本件事故によって脳内出血、脳軟化症の傷害を受け、言語障害、右半身麻痺の後遺症を残していることは当事者間に争いがない。≪証拠省略≫によれば、原告穂積は、本件事故当日の午後八時ごろ市内の病院より熊本大学医学部附属病院脳外科に意識混濁の状態のままで転送され、同所で頭蓋内より血腫を除去する手術を受け、昭和四一年六月一六日ごろまで昏睡状態が続き、同年八月一八日に退院した後、水俣市リハビリテーションセンターに入院し、右手足の訓練を受け、その後同大学病院で最終的な頭蓋内の手術を受け、昭和四二年二月末ごろ退院し、その後も自宅あるいは療護園で機能回復に努めてきたが、現在に至るも、運動性の失語症により人の話す言葉は理解できるものの、自らは十分に話すことができず、それに半身不全麻痺で右手足に支障があって右手の握力が著しく劣り、右足の方は歩くには不自由しない程度に回復したものの、更に脳萎縮により精神知能が低下し、その程度は九才位の知能しかなく、運動障害の回復の見込も、また精神知能の発達も全く期待できないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実からすれば、同原告は、将来稼動の意思さえあれば、訓練によって左手を利き腕にする等して、単純な機械作業等に従事することにより若干の収入を得る途が残されていると一応はいえるものの、この可能性も疑問なしとせず、その稼働能力の低下は著るしく、少くともその八〇パーセントを失ったものと認めるのが相当である。

原告穂積が本件事故当時満一三才の男子であったことは当事者間に争いがなく、同原告が本件事故前健康体であったことは≪証拠省略≫により認められるところであり、厚生省発表の第一一回完全生命表によれば、満一三才の男子の平均余命は五五、六七才であるから、同原告は右余命期間程度生存し、その間少くとも同原告の主張するように二〇才から六〇才に達するまでの四〇年間何らかの職業について稼働して収入をあげることができたものと推認されるところであるが、≪証拠省略≫によれば、同原告の父は薬剤士であり、その生活も中等度であり、同原告は学業成績も優秀であったことが認められることからすれば、同原告は、本件事故にあわなければ義務教育は勿論、恐らくはそれ以上の教育を受けてから就職したであろうと推認されるから、同原告は、少くとも原告ら主張の労働の能力と意志をもって企業に継続して雇傭されている一〇人以上九九人以下の規模の製造業における男子労働者の得る平均賃金を下らない収入をあげえたであろうと考えられる。

そこで労働大臣官房統計調査部刊行昭和四三年賃金構造基本統計調査報告書第一巻第一表「産業、企業規模、労働者の種類、性、学歴および年令階級別常用労働者の平均年令、平均勤続年数、平均月間実労働時間数、平均月間きまって支給する現金給与額、平均月間所定内給与額、平均年間賞与その他の特別給与額および労働者数」の製造業の企業規模一〇人以上九九人以下男子労働者学歴計欄によれば、同原告は二〇才から六〇才までの間、別表平均年間所得欄記載の収入をえたであろうと推認でき、右認定に反する証拠はない。

ところで、同原告が本件事故によってその労働能力の八〇パーセントを失ったことは前記認定のとおりであるから、同原告の得べかりし利益の喪失額は、右認定の本件事故がなければ同原告があげえた利益の八〇パーセントとなり、その現価をホフマン式計算法により算出すれば、別表認定額欄記載のとおりとなり、合計金一〇、〇一六、五二五円であることが計数上明らかである。

(二)  原告穂積の慰藉料

同原告が本件事故により前記のように不具の身となり、一生苦痛を堪え忍ばねばならないことは推測に難くなく、これらの事実に本件事故の態様その他諸般の事情を考慮すれば、同原告の精神的苦痛に対する慰藉料としては、金一〇〇万円をもって相当と認める。

(三)  原告中川仁、同中川博子の各慰藉料

右原告らは原告穂積の両親であることは当事者間に争いのないところ、≪証拠省略≫によれば、原告穂積は四人の子供のうちの長男で、一番頭脳がまさっていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実と前記各事実を総合すれば、原告仁、同博子は原告穂積の本件事故によって同原告が死亡した場合にも比肩すべき甚大な精神的苦痛を被ったものということができ、その慰藉料は各金五〇万円をもって相当と認める。

八  結論

されば、被告熊本市は、原告中川穂積に対し金一、〇〇〇万円、原告中川仁、同中川博子に対し金五〇万円および右各金員に対する請求の趣旨拡張申立書送達の翌日である昭和四五年一月三〇日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの請求は右の限度で正当であるから認容し、原告らの被告熊本市に対するその余の請求および被告高田、同坂口に対する請求は、いずれも失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 美山和義 裁判官 来本笑子 裁判官松尾政行は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 美山和義)

〈以下省略〉

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